画集「こども」出版までの道のり(その1)〜学生時代絵との出会い

今回の記事はGEISAIblogの頃に書いたものですが先日の講演会の後、もっと詳しく知りたい、とのありがたいメッセージやお問い合わせを多くいただきましたので、一部修正したり、当時は書く勇気のなかった内容を加筆修正して2014年に再投稿した記事です。

以前のblogに頂いたコメントもそのまま掲載しています。。。☆

$こどもの瞳

ありがたいことに今もホームページにお問い合わせをいただく、画集「こども」なのですが。。。

10年以上前の出版で未熟な作品にもかかわらず、皆様に興味を持って頂き、本当にありがたく感謝の気持ちでいっぱいです。

今ではネットのオークション等で手に入れて頂くしか方法がありません。。。スミマセン^^;

どの作品もお見苦しい作品ばかりですが、私にとっては記念的な大切な画集なのです。

この機会に初個展に至るまでと「こども」出版に至るまでの道のりを記憶を辿りながら、振り返ってみたいと思います。

$こどもの瞳

子どもの頃、周囲の大人から問題児、異端児扱いされていた私は、絵と音楽がとにかく大好きで、特に図画工作が何より心の拠り所で楽しみだったのですが、本格的に絵に興味を持ったのは、中学三年生の時の担任の先生が美術教師だった事がきっかけです。

大人を試すような行動ばかりしていた、捻くれ、荒れていた当時私の目を覚まさせ、丸ごと受け止め、絵の面白さを教えてくれた恩師です。

その影響で中学3年から、隣町の画塾へ、静物の鉛筆デッサンや人体のクロッキー、自画像、石膏像の木炭デッサン、花や風景の油彩画を習いにいきました。

美大や芸大を目指す高校生や大人に混じって描いていました。

中でも夢中になったのが木炭デッサンで、食パンを消しゴム替わりに使うのが面白く、夢中で石膏像に向き合ってました。(暗くなってからいつも電車で居眠りしてる人をスケッチしながら通っていたのを思い出します。)

高校受験があったので、少しお休みしましたが、高校に入ってからも通い続けました。

高校入学後、選択科目では美術を選んだものの、部活は美術部に入りたかったのですが、男性の美術教師に才能がないと拒否され、中学の続きで吹奏楽部に所属しながらも絵画への情熱はどんどん強くなるばかりでした。

というのも学校の図書室で「いわさきちひろ」さんの画集に出会い、描きたいテーマと作品の方向性と将来の目的がはっきりしたからです。

ちひろさんの絵はこどもの頃から教科書等で、知っていましたが、きちんと作品と向き合うのはこの時がはじめてでしたし、画家としてのちひろさんの生涯を書いた書物を読み、画集を見て素直に感動し、癒されたのを今でも覚えています。

時同じくして、地元の文化ホールで開催していた山下清さんの展覧会を初めて観ました。
画家の展覧会を観たのは生まれて初めての経験で、純粋に絵を描いた画家の人生、命日が自分の誕生日と同じだと知った事、色んな意味で自問自答した事をし、衝撃を受けた事を覚えています。。。

$こどもの瞳

テーマが決まっても美術館にも画廊にも行った事がない田舎者の私には画家という職業がどんなモノなのか全くわからないまま、漠然と「絵を描いて生きて行きたい」という思いが湧き上がっていました。

絵画教室では油彩画を習いながらも水彩画や貼り絵、コラージュの技法に強く惹かれていた私は、どうしても油彩画以外を勉強したくて、ちひろさんの画集や山下清さんの画集、他の水彩画家の画集、絵本等から、模写をしたり、独学で勉強していました。

模写をしていて、ちひろさんの作品は水墨の技法が多様されている事に気づき、また日本画の上村松園の髪の線の美しさに魅かれ、日本画の骨描きや毛描きをどうしても習得したくて、日本画の技法の本を読みながら描きましたが、墨の線一本もまともに描く事が出来ず、一本の線だけの為にこの頃から書道とかな文字を習い始めました。

同時に見覚えはあるものの、それまで詳しく知らなかった画家の画集や生き様の書かれた書物を読み漁りました。
藤田嗣治やマーガレットキーンなど、主に人物や子どもを描いた作品の模写をしていたのもこの頃です。
絵の勉強、や描く事、技法や絵の具や画材の研究ばかりしていたように思います。

性に悩み、トイレでお弁当を食べる日々の中、友達のいない私が唯一心のよりどころを感じたのは、絵に関する書物を読む事、絵を描いている時間だっただけかも知れません。。。

本当に時を忘れて、がむしゃらに無我夢中で貪るように描いていました。

あまりに夢中になり、一日のほとんど絵を描いていた私を両親は不可思議に思いはじめ、時同じくして、将来絵を描いて生きていきたいと両親に告げると、遂に頭がおかしくなったと心配され、画塾も画材も絵画関連の本も取り上げられ、描く事、絵の事を考えるる事を禁じられました。

庭で燃やされる絵筆やスケッチブックを見ながら涙が溢れて止まらなかった。
言葉にならない声で泣き叫びました。

今までいっぱい我慢してきたのに。。

悔しくて悔しくて。。

小さい頃「男の子だから」とお気に入りの人形を取り上げられ、フリフリの斜めがけのポーチを取り上げ、キャンディキャンディもリカちゃんグッズも取り上げられ、一番好きな物、一番大切な物を取り上げられ、何もかも我慢してきて来た幼い日々を思い返し、何で全部取り上げるのっ!て叫びながら泣きました。。。

解決の出来ない、性別に悩んでいた当時の私は絵を描いている時だけがその事を忘れる事が出来ました。


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唯一の救いを、生き甲斐を取り上げられ、抜け殻のようになり、様々な要因が重なり、自らの命を消そうと、取り返しのつかない行動に出てしまい、一ヶ月半ほどの入院を余儀無くされました。

今ではとても後悔し、反省し、助けてくれた両親や叔母に心から感謝しています。

一命を取り留めた私は退院後、描く以外で美術を勉強出来ないものかと、学校の図書室と市の図書館に足繁く通うようになっていました。
幸い、学校図書室の司書の先生がとても協力してくれ、絵やアート、美術の歴史関するありとあらゆる沢山の書物を仕入れてくれたり、数々の絵本コンクールや公募展に積極的に私の作品を出品してくれました。
休憩時間、昼休み、放課後と入り浸るうち、居場所のない私に、書庫で絵を描かせてくれたり、お弁当を食べる場所まで与えて頂き、貸し出し受付の手伝いをしながら、一日一冊のペースでありとあらゆる書物等を読みあさりました。

たくさんの画家の人生を知る事で、一人として同じ人間がいない事、誰かと同じである必要がない事、自分は自分でしかない事を学びました。

絵がダメなら保育士になる事を考えたほど、こどもが大好きだった私に、様々な影響でこどもの絵を描く絵描きになりたいという夢が明確になり、その想いは強くなる一方でした。
両親には猛反対されましたが、生きがいがそれしかなかった私には、もう絵を描く事でしか、自分の存在を認識出来る方法が見当たらなかったし、他に生き甲斐を感じる場所が見つかりませんでした。。。

「絵の道を志すには実家から飛び出さなきゃダメだ。」

両親をどう説得するか、ダメなら騙してでも家を出よう。

日々、そんな事を考えるようになっていました。

次回、挿絵画家としての日々に続く。。。

COMMENTS(GEISAI BLOG時の皆様からのコメント)


ユーチューブでアップされてるこうぶんさんのドキュメンタリー映像で絵に反対されてたお父様が「恋文」の展覧会で初めて会場に来た!とありましたが「こども」の出版記念展覧会でお見かけしました。テレビって作りモノですね。こうぶんさんもきっと納得されてないなと、前々から感じてました。次にテレビに出る時はもっと作品を全面的に撮影してほしいです。

* 2009.08.10 Mon 20:11
* Posted by 「こども」大好き

こうぶんさんの作品の中でも、(少数派かもしれませんが)拗ねたような顔も好きです。たぶん、自分がこういう顔をよくしていたからなのかも…^^;司書の先生は、図書室に絵を描くスペースを作ってくださった方でしょうか?この方が、こうぶんさんの才能を更に引き出すきっかけになったのですね。

* 2009.08.05 Wed 11:04
* Posted by あいおらいと

日航ホテルでの個展で作品を購入して以来ずっと影ながら応援しています。

* 2009.08.04 Tue 17:20
* Posted by はしもと

今のこうぶんさんになるまで、いろんな深いストーリーがあるのですね。。。感動しました。

* 2009.08.04 Tue 16:48
* Posted by かおり

やっぱりレベルの高い人等はみんな何か違うな。このブログを観て改めて思う。

* 2009.08.03 Mon 20:34
* Posted by

Web上のギャラリー(ギャラリータグボートなど)に作品を登録して下さい。そしたら個展がなくても我々ファンは作品を買う事ができます。よろしくお願いします。

* 2009.08.03 Mon 19:44
* Posted by ファンからのお願い。

続きが気になるーっ

* 2009.08.03 Mon 18:25
* Posted by

なんだか、心に響きました。。

* 2009.08.03 Mon 07:39
* Posted by

9 Replies to “画集「こども」出版までの道のり(その1)〜学生時代絵との出会い”

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    あと数日で母の命日です。施設で倒れて4年前帰らぬ人になりました。

    ほんとは家で看取りたかったのですが老齢の父もいますし、なにせ女手が親戚を含め無かったのです。かれこれ3年近く入所しましたが体調を崩すごとに施設を移りました。その都度母の宝物、いわさきちひろさんの画集と額縁の絵を大事そうにベッドの傍らに置いてありました。

    その絵と画集は私が初めてのボーナスで母にプレゼントしたものです。

    そして今その絵は母の若き日の写真と先生のポストカードと一緒に私の新調したドレッサーに飾ってあります。そしてドレッサーの鏡の前でお化粧をするとき魔法を自分にかけるのです。

    私はおかあさんの子、気高くて美しい血が流れてる。せっかく男から女に成れたのだから自信を持たなきゃ、いわさき先生やこうぶん先生のような優しい真心を持たなきゃ、といつも思ってます。

    私が女になって今、父の介護をしています。母の分までがんばろうと思いますが萎えそうな時は先生からいただいたポストカードの絵がはげみになってます。

  2. SECRET: 0

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    こうぶんさんの絵は目が特徴的ですが、生きているような目です。

    そして心を洗われるような目の表情が本当に素晴らしいです。

  3. SECRET: 0

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    お早うございます。

    毎日暑いですね´`;

    ちひろさんの絵は、

    あの[余白]が物語っているんですよね。

    初めこそ「手抜き?」だなんて、

    失礼極まりなく

    絵を志す資格ゼロな意見しか持てませんでした。

    しかし、余白という[間]は、

    私たちに想像力をくれる部分なんだな…と、

    観賞するうちに感じるようになれました。

    子どもたちを取り囲む

    あのもわもわした白い間こそ、

    子どもたちや ちひろさんが訴えたい[何か]があるのだ…と。

    あと数日で 40年なんですね


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    >Recarさん

    画家がお母さまとの思い出なんて、貴重ですね。

    様々な事を乗り越えて今の美しい人生があるのですね。

    こうぶんの作品が今後の人生の支えになれば私達も嬉しいです。

    いつも応援ありがとうございます。

    今後共力強い応援よろしくお願いします。

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    >一生恋愛さん

    コメントありがとうございます。

    作品を深く理解してくださりありがとうございます。

    見る人によって怖く見えたり優しく見えたり悲しく見えたりするそうですね。

    作家の思いと見る人の思いが一つの作品を作るのだと思います。

    今後共応援よろしくお願いします。

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    >みえもンちッチさん

    コメントありがとうございます。

    こうぶんも常に余白を意識しているようです。

    余白や余韻は日本の美しさでしょうか。

    今後共応援よろしくお願いします。

  7. SECRET: 0

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    今になってやっと自分探しを始めた私ですが、

    その過程を強烈な思いで

    いろいろと乗り越えて

    ずっと続けてこられたこうぶんさんが

    強く優しく綺麗な理由が伝わって来ました。

    とても輝いて見えました。^^

  8. SECRET: 0

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    >てけさん

    素敵なコメントありがとうございます。

    過去の自分も今の自分も肯定して未来探ししたいですね。

    今後とも応援よろしくお願いします。

  9. SECRET: 0

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    お邪魔しまーす。ななこです(^^ゞ素敵な記事なので書き方とか勉強になりました!!よかったらアメンバーになりましょう♪ これを機会に仲良くできたらいいなぁって思ってます♡また来ますね!!

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