画集「こども」出版までの道のり(その2)〜挿絵画家としての日々

※この投稿は過去のGEISAIブログの記事を加筆修正して再投稿した記事です。

前回の記事へのコメントやホームページへのメッセージありがとうございます。
昔の記事にも関わらず皆様が書いてくださったメッセージが深く心に響きました。
それでは続きも結構長いですが、読んで頂ければありがたい。。。☆
$こどもの瞳

高校卒業後、どんなに説得を重ねても、結局両親は絵の道を許してはくれませんでした。。。

そこで私は「絵は諦めました、広告の勉強をする」と嘘を付くことで、

何とか実家を離れ芸大附属の美術学校への入学を許されました。

広告やレタリング、グラフィックデザイン等を勉強し、その後、絵画科、イラスト科、写真科へ次々に移り、様々な表現方法を広く浅く学びました。

学校から、そんなにコロコロ転科したら、単位が取れないから留年すると、注意されましたが。。、
私は勝手に一年で中途退学してしまいました。
(今思うと両親には、大変申し訳ない事をしたと思っています。)

その後、両親からはほぼ勘当状態で、一人で生きていかなくてはならなくなりました。
早朝からは、ビルの掃除のアルバイト。。
そして、画材をもっと勉強したかったので、昼間は画材屋でアルバイト。
土曜日と日曜日は色々な所で、ストリートで似顔絵描きをしていました。
近所の駄菓子屋さんに通い、子ども達を観察していると、駄菓子屋さんのおばちゃんと顔見知りになりました。
その方はとても裕福で多趣味な方でした。
駄菓子屋さんも趣味の一つで、美術にも関心があり、絵の批評をしてくださったり、肥やしになるからと、美術館や画廊だけではなく、生け花や美容師さんの為のヘアメイクの為のデッサンの教室に通わせてくれたり、毎日色々な所に連れて行ってくれました。
生活が大変だと知ると、夜の皿洗いのアルバイトと知り合いの富豪の家のお掃除や犬の散歩のアルバイトを紹介してくれ、教える事も勉強になると、週に一度駄菓子屋さんの奥の部屋で、子ども達への寺子屋風お絵描き教室やアパートで大人にも教える手配をしてくださいました。
そこまでしても、お金はほとんど、画材代でなくなり、いつもお腹が空いていました。
パン屋さんでパンの耳をもらうのが日課になり、モヤシと納豆ばかり食べていた記憶があります。。(笑)
風邪で寝込んだ時や、本当に食べる物がなく辛い時には叔母(母の妹)が来て助けてくれた事がありがたかったです。
アパートの家賃は光熱費別で18,000円。
トイレは共同でお風呂はなく、いつも深夜に屋上の洗濯場で、冬でも水浴びをしていました。
今思うと全てが懐かしく、楽しい思い出になっています。。。

そんな19歳の時、テレビでを見ていて、番組のコーナー企画の「紙芝居のイラストレーター募集」の文字が目に飛び込み、直ぐに応募しましたが、書類選考で落選。

絵も見ないで書類だけでの落選にされて、引き下がるの?これが大きなチャンスになるかも知れないのよと叔母に言われ、テレビ局に直接作品を持ち込み、審査だけでもしてほしいと訴えると、明日ロケなので明日までに競馬の馬がゴールする瞬間の絵を描いて来なさい。
と言われ、次の日審査風景の撮影に補欠参加させて頂ける事に。。
当日、出るはずの方がドタキャンで、私の出演が決まりました。
その様子が動画サイトに流出している事を最近まで知りませんでした。。。^ ^
恥ずかし過ぎて直視出来ません。。。>_<

$こどもの瞳

子どもを描きたいと思い、時間を見付けては図書館の絵本コーナーで子ども達をスケッチし、日々デッサンや解剖学をしてもなかなか思うように子どもは描けませんでした。

何枚描いても小さな大人にしか見えません。。
もっと生きた子ども描くためにはどうすれば良いのか、と考え子どもに関わる仕事を探しに職業安定所に通いました。
そして何とか学童保育の指導員の仕事が見つかり、アパートを引越す事になりました。
この頃、絵描きになりたいという志はあったものの、まだ、具体的な方向性や、画法にもがいてどうしようもない絵を何枚も描いていました。
くじけそうな時は、いつも叔母が励ましてくれました。
小冊子やパンフレット等を作る小さな出版社からお仕事をもらい、保育のお仕事と、子どもの絵画教室をしながらも、少しずつカットや挿絵の仕事をしていました。(当時一枚描いて1,000円くらい)両立はキツく毎日徹夜で挿絵やカットを描いていました。(若かったな~今は、徹夜なんて絶対無理。。。)
描く事は好きなはずが、注文で描く挿絵の仕事には、少々憤りを感じていました。

プロになるという事はこういう事だと自分に言い聞かせ毎日描いていました。

それでも大阪市内で行われた、子どもイベントのパンフレットや「戦争展」のポスター、小説の表紙を自分の絵で飾り、その本が本屋さんに並んだ時には、涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。
そうして、来る仕事、来る仕事、どんなに小さな仕事もキッチリと締め切りを必ず守ってこなしていると、少しずつ任される仕事も増え、月連載で間違え探し等も描かせてもらえるまでに。。。

イラストと絵画との狭間で揺れ動きながら、
挿絵の仕事をしながら、絵本や教科書の出版社にも作品を持ち込みました。

$こどもの瞳

19歳前後の紙芝居のテレビを含め、

ネット上で過去の私のドキュメンタリー等が見られる様ですが、テレビの世界というのは、番組を作る側の立場によってつなぎ合わせ、事実とは多少違う様になってしまうと思います。
でも、応援してくれる方が、載せてくれてるみたいなので、ちょっと恥ずかしいですが、ありがたく思っています。
私も観て懐かしくなりました。
まさか、19、20歳の頃のVTRが存在してた事がビックリでした。(笑)
過去があるから今がある。。
どれも全部私なのです。。。

COMMENTS(GEISAI BLOG時の皆様からのコメント)


子供を書き始めたのがいわさきちひろさんの影響だったんですね。           ちひろさんはマリーローランサンの影響ですから、なんか美の連鎖を感じます。     自分の意志を引き継いでくれた後輩をきっとちひろさんも天国から応援してくれてますね。

* 2009.08.11 Tue 17:36
* Posted by SS

お強い方ですね。尊敬します。勇気と力をわけてもらいました。自分も努力して頑張ります。ありがとう☆ヽ(▽⌒*)

* 2009.08.10 Mon 23:58
* Posted by

いろんなご苦労があったんですね。それもふくめて、今の素敵なこどもの作品があるんですね。とても私自身励みになりました。                     

* 2009.08.10 Mon 20:49
* Posted by かおり

5 Replies to “画集「こども」出版までの道のり(その2)〜挿絵画家としての日々”

  1. SECRET: 0

    PASS:

    とてもとても、素敵な、勇気づけられました。ありがとうございます(*^^*)

    数年前、とあるサロンでジュエリーの展示会で初めて、こうぶんこうぞうさんのことを知り、それ以来ずっと、応援しております。私も絵を描くことがとても好きです。

    子どもたちの気持ちを大切にできる世界になるといいですね^ – ^

  2. SECRET: 0

    PASS:

    その通りですね。過去があるから今がある。

    私もそう思います。共感します。

    今の自分を形成してきたのも過去の出会いや経験があるからだと思っています。

    こうぶんさんも様々な経験をされている様ですね。嫌な事も良い事も自分なんだとおもいます。

    9月に東京四ツ谷で講演会と上の記事に書いてありましたね。

    ぜひ、参加したいと思います。

    もっとこうぶんさんの経験された事を聞いてみたいです。ぜひ、お会いできればと思います!

  3. SECRET: 0

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    >ともみさん

    コメントありがとうございます。

    数年前に某化粧品会社のエステサロンでもジュエリーや作品を展示していたと聞いています。

    そんな時から応援して頂いている事に感謝です。

    これからもぜひ応援よろしくお願いします。

  4. SECRET: 0

    PASS:

    >ヨシさん

    コメントありがとうございます。

    早速お知らせを読んで頂いてありがとうございます。

    講演会へのご来場もありがとうございます。

    東京での一般公開講演会は初めてなので、とても貴重です。

    ぜひ、ご堪能くださいね。

    画集の販売や原画展示も予定しています。

    今後とも応援よろしくお願いします。

  5. SECRET: 0

    PASS:

    >ヨシさん

    コメントありがとうございます。

    早速お知らせを読んで頂いてありがとうございます。

    講演会へのご来場もありがとうございます。

    東京での一般公開講演会は初めてなので、とても貴重です。

    ぜひ、ご堪能くださいね。

    画集の販売や原画展示も予定しています。

    今後とも応援よろしくお願いします。

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